これを見ていて思ったんだが、俺は自分を偽ってるな。


本当はね、ぼくは揉め事とか好きじゃないんですよ。
みんな仲良くしたいんですよ。
でもそれじゃ俺の書いてることに誰も見向きもしないじゃないですか。
「きょうはウチのニャンコちゃんがカツブシ食べてニャー」じゃ誰も見向きもしてくれないんですよ。
だから揉め事に首を突っ込んだり変態を装ってアニメキャラに欲情したフリをしたりしてるんですよ。
そうじゃないと誰も見に来てくれないわけですよ、このご時世。
この前アクセス数のグラフ載せましたけど、伸びてるのはだいたい揉め事の時だけなんですよ。
揉め事やってれば俺の側から見てくれる人と相手側から見てくれる人と、それに加えて野次馬も見てくれるんですよ。
それでアクセス数が伸びて勘違いしちゃうんですよね。
あれ? 俺ちょっと集客力ついた? みたいに。
ついてないんですよ。
大多数の人は俺を見に来てるんじゃなくてコンテンツの歯車としての俺を見に来てくれてるわけです。
でもそんなのは長続きしないんですよ。コンテンツのブームが過ぎ去ってしまえば終わりなんです。
そうじゃなくて俺を見に来てくれる人を増やすべきなんです。
そうすれば「カツブシ食べてニャー」でも人は見に来てくれるんですよ。
有名人のtwitterって、どうでもいい発言が注目されてRTされてreplyが来るじゃないですか。
あれは本人に魅力があるからこそ成り立ってるわけで、例えば俺が「昼食なう」って言って写真載せても反応ないじゃないですか。
それで俺は変な人を探して「こいつバッカでー」みたいなことをしちゃうんですよ。なぜならそれが楽だから。


本当はね、俺は自分の書きたいことを書くべきなんです。
その過程で歯車になるのはいいんです。
でも、歯車になることで満足してちゃダメだと思うんです。
別に歯車を否定してるわけじゃありません。歯車は必要なんです。
でも楽だからという理由で歯車を続けていてはいけないと思うんですよ。
揉め事扱っときゃ場が荒れて喧嘩になって人が見に来ればおいしいだろ、みたいな考えじゃいつまでたっても成長しないんです。
どうせやるなら徹底してそれしか扱わないくらいの意気込みでないと。
でも揉め事は嫌いなんです。
ぼくは好きなことを書きたいんです。
好きなことを書いて多くの人に見てもらいたいんです。
その方法はまだ分かりませんが、いつかコンテンツではなく自分を見に来てくれる人が増えることを願います。



でも揉め事の集客力は一度味わったらやめられないんだよな。
あと全然関係ないけどこの文章宗教っぽいよね。