あいちトリエンナーレの展示内容に違和感

何でも震災に結びつければいいんだろみたいな風潮そろそろやめてくれないかね。
あいちトリエンナーレ2016
あいちトリエンナーレ:福島原発事故、現場体感して 兵庫の建築家、原寸大で建屋「再現」 来月展示- 毎日新聞

主会場となる名古屋・栄の愛知芸術文化センター(12階建て)の建物が、東京電力福島第1原発の建屋がすっぽり収まる大きさであることに着目。テープを張って原寸大の原子炉などを示し、巨大さを実感してもらおうという試みだ。

宮本さんは「炉心部は芸文センターの吹き抜け空間にかかるように配置した。福島第1原発の大きさを伝えたい」と意欲的だ。さらに、原発再稼働の動きが進む中「原発事故は福島だけの問題ではない。名古屋の都心で原発を実感してほしい」と制作意図を語る。

来月開催「あいちトリエンナーレ」 福島原発“体感”展示も ― スポニチ Sponichi Annex 社会

別の会場では、東日本大震災により閉校した学校の黒板や被災した漁師の船も展示。

もう国際芸術祭でも何でもないじゃん。
ただの震災メモリアル展じゃん。


まあ芸術監督が
http://aichitriennale.jp/about/about_02.html
東北大学の人って時点でこうなることは既定路線だったんだろうね。
http://aichitriennale.jp/about/about_01.html

多くの犠牲者を出した 3.11 のカタストロフに遭遇した後、アートに何ができるか、という議論がおきました。これは日本だけの問題ではありません。さまざま意見があるでしょうが、芸術がなすべき役割のひとつは、人類が生みだした最強の文化的な記憶装置として過去を忘れないようにすることでしょう。そして記憶を呼び戻し、希望を復活させること。われわれが再び歩きだし、青い空を見上げることができるように。このトリエンナーレは、固有の場所に結びつく記憶と復活を通じて、アートの力を社会に問いかけ、われわれが生きる街の輝きを増していくことをめざします。

震災以後、いろんな物がこういう「希望を取り戻す」系のノイローゼにかかっちゃってるけど、そろそろ脱却してもいいと思うんだけどな。
震災を忘れろとかそういう意味じゃなくてさ。


それにしても原発の大きさを体感することがどう「希望を復活させる」ことに繋がるのか、俺にはさっぱりわからないんだけど。
どうせ外で馬鹿がでかい声上げて踊ったり騒いだりすることになるんだろうけど、それも芸術なんですかね。


すぐにできる!楽しいダンス〈1〉よさこいソーラン・阿波踊り編

すぐにできる!楽しいダンス〈1〉よさこいソーラン・阿波踊り編