虚構新聞社はこのような現実と虚構が交差するところ、可能な限りこの二つの世界がサイコロを振るように確率でしか決められないような、「リアルではあるが現実ではない。だがのちにこのリアルは現実に変わる可能性を持っている」と思えるような記事を配信する方針を採っている。そして、そこにひとつまみの諷刺諧謔を加えることができればなおさら好ましいと考えている。
現実に変わる可能性があると思いながら書いたんですね、あの記事も。
まあ長年やってるうちにポリシーが変わってるってことなのかも知れんが、そうやって書いてる時期もあったし今もそれは変わっていないのかもしれないと思いながら一連の言動を見てると面白いよね。
しかし10年近く前から同じことをやって批判されては謝り批判されては謝りしてて最終的に逆ギレに発展したというのは「今なら馬鹿信者も多いしそいつら相手だけで十分やっていける! もう卑屈にならなくてもいいんだ!」みたいな清々しいまでの開き直りが感じられていいですね。
もう戦わなくても神輿に乗り続けるだけで安泰だもんね。
最終的に誰かに訴えられた時には裁判傍聴しに行きますんでさっさと裁判起こされてください。
今なら任天堂とか危ないんじゃないですかね。
あの対談記事、今回の件なんて比べ物にならないくらい真っ黒だぜ。