それがお前らのやり方なんだな、よくわかった - 今日も得る物なしZ
連絡遅れて申し訳ございません。
西沢朋と申します。
本記事引用させて頂きましたことのご連絡でございます。
http://kechikechi.com/minimalist/criticism-minimalist/
ご確認のほどよろしくお願いいたします。
コメ欄勝手に使ってすいません。
引用なんか別に連絡しなくていいのに、と思いながら記事見てたけど引用というかリンクが貼ってあるだけだった。
勝手に引用されるのははてなの仕様だからしょうがないのにね、と思いつつはてブ見てひっくり返った。
nownoatosaki ここはみてくれるのでしょうか?記事に対してコメントしてます。誠実さを求めるなら、記事を引用したことをご連絡ください。ブログを書いた時間が無駄にならないことを祈ります。
は???????????????????????????
引用したことを連絡することが誠実????????????
で、何が引用されてるのかと思ってみてみた。さぞかし大量に引用されてて引用の要件を全く満たしていない悪質な転載なんだろうなと。
意見が違うことに対して、イライラしたり、落ち込んだりすることはおかしいことに気が付きませんか?:批判や誹謗中傷の受け方について - 賢くミニマリストになろう
仲間内でほめ合う空気は、そこから何も進歩しません。批判や反論があってこそ、見方がひろくなることもあります。
"個人の意見はどれも偏見だということ覚えておいてください。どんな意見も調べるとどこかおかしなところが出てくるんです。(…略)だから、価値はないと思った方がいい"
ミニマリストは批判をなおざりにしている | The minindependentist
どんな瑣末な意見であろうと受け取り手がないがしろにしてはその後の発展は見込めないではないか。本記事が取り上げた地球の例を借りるなら、天動説を唱えられたいたころコペルニクスやガリレオが文字通り命をかけて意見を述べ、それを結果として汲み取られたからこそ人類はロケットで大気圏を飛び出し実際地球が丸いことを目の当たりにして今日当たり前のように地球が丸いことを真理として僕らはその知識を享受しているわけだ。確かに真理それ自体は先に在るが、人間の認識の上には意見を発して真理に向かう以外に方法がないではないか。ましてや常識になるにはなおさらではないだろうか。
と、きちっとした反論がなされている。
主従もちゃんとしてるし引用元も記載してるし引用部分もちゃんと分かる、ちゃんとした引用だった。
それに対して
誠実さを求めるなら、記事を引用したことをご連絡ください。ブログを書いた時間が無駄にならないことを祈ります。
とはどういうことか。
ブログを書いた時間が無駄になるとは当然そのブログが読めなくなる自体を想定しているのだろうし、普通に考えれば「何らかの手段でそのブログを消させる」ことを想定しているんだろう。
はっきり言ってそんな考えのほうが全く誠意がなく、暴力的としか言いようが無い卑劣な行為だ。
俺が批判したヤクザ的手法と何ら変わりがない。
そもそもこの似非ミニマリストは何を書いているのだろうか。
意見が違うことに対して、イライラしたり、落ち込んだりすることはおかしいことに気が付きませんか?:批判や誹謗中傷の受け方について - 賢くミニマリストになろう
基本的にほっとけばいいのですが、それでは気持ちもおさまらないし、また炎上する記事を書いてしまったり、炎上にみずから参加してしまうことにもなります。
炎上で有名なイケダハヤトさんの書籍に批判について書かれています。
誹謗中傷の場合、書いた人の精神状態はおかしいのです。
それに一緒になる必要はありません。逆に大丈夫でしょうか?と心配してあげたほうがいいでしょう。
もちろん、個人的に傷つけるようなことを書いたなら、よくないですが、何かを書いて、批判が来ても、それは、相手が感じたことなので、書いた人はそれについて、落ち込んだり、いちいち反応しなくていいです。
インターネットでは、匿名性によって、実際に会えば、言わないことも、平気で書く人がいます。それは本音なんですね。本音は素直な意見なので、そういう意見もあるのかぐらいで止めておけばいいです。
ということは、これも一つの意見です。ああそういう意見もあるんだ、で終わりです。そこに反論したり、イライラしなくてもいいです。
ふーん。
はっきり言わせてもらうと批判を批判と受け取る勇気すら持たず他人が自分に向ける批判は全て誹謗中傷だなんて考え方をしてたら結局最終的には自分の都合のいいことしか言わない傷なめ部隊しか存在しなくなって自分の間違いについて少しでも考える機会を失うことは成長を妨げる要因にしかならないんだがそれわかってんのかわかってねえからすぐ批判を批判するんだいいかげんにしろミニマリストどもエンガチョ寸前とどめをみまうぜといった感じだけどとどめをみまっても尚あいつらはおかしいから我々を批判するんだみたいなことを言うんだろうがそれはお前らがさんざん引用している仏教からは程遠いインチキ新興宗教の考え方じゃないのかそこまで言わなくともお前らの考え方は無謬主義というもので自分たちの考え方には間違いは絶対はない完全にないと思い込んでしまう考え方で更には聖書無謬説という考え方もあってそれは聖書の言うことには間違いがありませんよ絶対ありませんよという前提で話を進めるというやつでトマトの本に書いてあったから完全に間違いない等と言っているお前らは仏教どころかキリスト教の考え方なんだよそれをまあお前らは仏教では仏教ではって美味しんぼの京極さんかよ京極さんだって自分の間違いに気づいた時には反省してんぞお前らはどうなんだ自分たちの間違いとされる言動は全て相手が勘違いしてるだけだみたいなこと言いやがってお前は万能神かってのそれってーとあれかいミニマリズムってのは神になるための修行のことなのかいそんなわけねえだろお前それじゃますます新興宗教じゃねえか信者20人くらいいてしょっちゅうオフ会という儀礼もやってるから宗教団体の資格あるから宗教団体として活動すればいいんじゃないの高知とかで。
こっちの記事に関してはもう俺は感情論だけでやっていくから。
ブログでの対話を可能にする条件とは:ブログを楽しむには感情論にならない対話が必要 - 賢くミニマリストになろう
ブログのコメント機能は感情論になると、平行線をたどり、コメントは見えないナイフになり、こころにキズだけを残していきます。
しかし、仲間内でほめたり、おもしろいですね、すばらしいですね、というのは、まず、対話にはなりません。
コメントの機能があることによって、対話が可能になり、そこがブログの面白さであり、同時につまらなさの原因にもなります。
別に対話しろなんて言ってねえよ他人を馬鹿にして自分を持ち上げようとするやり方が気に食わねえっつってんだよ。
平行線になって何が悪い、俺は全部の記事を感情先行で書いてるんだからそんなの知るか。
話をする上でルール決めておきます。
1、感情を持ってこないこと「ああ、そういう意見もあるんですね」で止めて、それ以上余計な感情を持ちださいでください。
感情のない意見なんて何の意味があるんだ。喜び、怒り、感動、悲しみ、すべての感情が集約されるのが意見だろ。
国会の答弁みたいな何の感情もない杓子定規なやりとりだけしたいならブログなんかやらずにmixiでやってろmixiで。
どんな意見も反論ができます。意見は個人の意見なので、文化、時代、年齢、性別、国などによって違うからです。
だから、それは違うでしょという反論は繰り返されるし、あなたの意見は違う、間違っているという反論は、人格までも否定された(これも感情で見ているからです)かのように感じてしまいます。
じゃあいちいちこんな予防線張るんじゃねえよ全部無視しろ。
全部反応してやってることが「あなた方はおかしいんです」ってそんなもん他人を感情的にさせてるだけじゃねえか。
人それぞれとか言ってるけど絶対お前人それぞれなんて思ってねえだろ。
反論してくる人間は馬鹿くらいには思ってるんだろ、そうじゃなきゃこんな文章書けねえよ。
もし、一つの正しいことであれば、それは真実です。そこには感情は入る余地はありません。意見であるがゆえに、感情が入ってしまうのです。
「ああそういう意見もありますね」は感情論にならないためのルールです。
「意見であるがゆえに、感情が入ってしまう」ってお前さっき「感情を持ってくるな」って言ったじゃねえか。
要するに意見はいらないってことだろ、じゃあそう言えよ。
はいはいお前が全部正しい素晴らしいあなたは神だひれ伏すしかないですって言えば気が済むのか。
それこそ「仲間内でほめ合う空気」じゃねえのか。
そこからの進化はないんじゃないのか。
ネットでの対話で真実を発見することは難しく、意見を出し合うことが限界なのかもしれません。
また、真実は自分の都合のいいものばかりとは限りません。それでも知りたいと思うのは、私の欲なのでしょう。
この辺はぜひ皆さんの意見を聞きたいところです。
意見出したら「感情論だからwwwこの人頭おかしいwww」って言われるのに誰が意見なんか出すかよ。
俺は出すけどな、なぜなら全てが感情で動いているから。
理論なんか後付だ、感情を制御するための手綱になりゃ十分だ。
するどい意見は自分の見えていない、気づいていない部分、言って欲しくない部分を指摘する場合もあります。
はっきりしているのは、人に言われるといやな部分とは、自分にそれがあるからです。
これが感情論になってしまう理由の一つだと思います。
だから、「そういう意見もあるのですね」で止めておく
私の意見に対しても、感情的に取らないで下さい。
私が感情的に取らないためのルールでもあり、読者もそうしてほしいという希望です。
嫌なら嫌ってはっきり言えや。
ヤマアラシのジレンマじゃあるまいし、嫌な部分は耳をふさぐしかないので最初から言わなくていいですみたいな考えなら尚の事クローズドコミュニティでやってろ。
だいたい感情的にとらないでくださいって人間の初期衝動なんてだいたい感情だろ。
無感情で動き始めるなんてロボットじゃねえんだから。
あれか、そういう感情すら持たないのもミニマリストの条件なのか。
じゃあもう人間である必要がないじゃん。
2、分からないことは「分からないです」と書く
コメントに対して、そんなこと言ってないし、理解力がない人だな、では、感情論になり、対話はできません。
「分からない」とは全否定していると感じられるかもしれません。
「分からないなら自分で調べろ」はなしです。このコメントでは対話ができないので、何か意見を下さい。
いるのかいらねえのかどっちだよ。
お前本当は全然考えまとまってないだろ。
うまいこと言おうと思って必死で取り繕ってるだけだろ。
それが無感情の弊害なんだよ。
言いたいこともないのに無理に言おうとするから話が続かないんだよ。
「ああそういう意見もありますね」では対話するといいながら、対話してないだろと思うかもしれません。
これは私が「対話」の意味を履き違えているかもしれません。その辺りは上手く説明ができません。
コメントをしてくれた人が、「この人は理解力がないのだ」と思うかもしれませんが、これでは前に進めないので、分からないと書いた部分は、よくわからないので、「教えて下さい」という意味が含まれています。
だからさんざん聞く耳持たないことを表明しておいてこういうことを書くな。
3、コメントする価値があると思ったものだけに厳選しています。
答えてくれなかったといって感情的にならないでください。
完全に煽ってるじゃねえか。
答えてないコメントイコール無価値って言われて何の感情も持たない人間なんかいるかよ。
他人へのコメントはざっくり略。
気になったところだけ。
「意見交換が激しいはてなの文化」と書かれていますが、私からすると感情論で一方的に発言しているだけであると認識しています。書きっぱなしなんです。
完全に喧嘩売ってるよな、おい。
お前らの文章は感情的で一方的に発言してるだけだってそれ完全に馬鹿にしてるよな。
お前散々人を煽って馬鹿にしておいて「感情を持ち込まないでください!」って冗談も休み休み言えよ。
意見交換しようとしたら、感情論で書き出す。感情論で読む人が多いのです。
これが炎上につながり、ブログをつまらないものにしていると思いませんか?
ブログの楽しさは意見交換にあるのかもしれません。
お前のブログは感情全くないけど面白いの? ねえ面白いの?
俺のところは面白いかどうかなんて自分で判断しようはないけど、面白くしようと絶えず読む人間のほう向いて書いてるよ。
感情的ではあるが他人のこともちゃんと考えて書いてるよ。
無感情で読む人間がどう取るのかお構いなしの文章なんて誰が面白いと思うんだよ。
そもそも面白いつまらないの概念があってのその文章かよ。
なんかの経典かと思ったわ。
コメントの機能がここまで利用されるのは意見交換や対話をしたい、自分の意見を聞いてほしいとい欲求があるからでしょう。
しかし、今のブログ文化ではそれはむずかしいことかもしれないし、そもそも対話の文化が少ないので、感情論で書く人と感情論で読んでしまう人が多いからかもしれません
私も以前はそうでしたので、ブログがつまらなく感じるときがありました。
意見を持つことがどういうことなのかを考えていくうちに、ブログの楽しさを見つけると同様に、つまらなくしている原因も一つの発見することができました。
ですから、今回あえてコメントに対話する方法を試してみましたが、いかがでしたでしょうか。
だからなんで上から目線なんだよ。
ブログ評論家かお前は。
敢えて対話してみたとかいらねえんだよ、なんで余計なこと書くんだミニマリストなのに。
コメントをしても、コメントを返してくれるブログは多くありません。
「いいですね 素晴らしいですね そう思います」
というコメントは嬉しい反面、対話や新しい気づきは少ないのです。
感情論でコメントを読むと、そこで新しい気づきの芽はなくなります。
気づきの芽は感情論で潰されます。
お前らミニマリストの傷の舐め合いそのものじゃねえか。
あと「気づき」って意識高い系がよく使うけど気持ち悪いだけだから。
「気づきを得られた」とかこいつ完全に意識高いだけのポンコツだなって思っちゃうから。
ということで終わろうとした俺の目にとんでもないものが飛び込んできた。
ブログは対話に向いている。対話の意味とやり方を学べばブログがもっと意味のあるものになる。 - 賢くミニマリストになろう
ブログは対話に向いている。対話の意味とやり方を学べばブログがもっと意味のあるものになる。
ギニャー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!